「これで良かったね」
何人もの人に言われました。
家族も言いました。
友人も言いました。
「やっと終わったね」
「これで前に進めるね」
そのたびに頷いていたそうです。
でも、頷くたびに、別のものを飲み込んでいる気がしていました。
「良かったね」という言葉の中に、何かが入っていました。
あなたの結婚は、うまくいかなかった。
それが終わって、良かった。
周りがそう言いたかったわけではないと思います。
でも、その言葉を受け取るたびに、静かにそういう形に整理されていく気がしていました。
そして、整理が進むにつれて、自分の立ち位置も確定されていく感覚がありました。
「あの人は離婚した人だ」
その言葉が、自分とは別の場所で成立していきました。
「離婚した人」になる、ということが、頭から離れなかったそうです。
結婚していた頃も、苦しかった。
うまくいっていなかった。
でも、まだ確定されていませんでした。
離婚した瞬間に、それが一つの形として外側に固定される気がしていました。
頷くことは、その固定に同意することのように感じていました。
だから、頷くたびに別のものを飲み込みました。
「おかしいと思っていたんです」
その方は言いました。
「離婚したかったのは本当のことです」
「苦しかったのも本当のことです」
「だから終わらせたんです」
「なのに、良かったと言われるたびに、違う気がしていました」
少し間を置いてから、続けました。
「頷くたびに、あの時間が失敗だったと言っている気がしていたんです」
「そして、私が失敗した人になっていく気がしていたんです」
周りは結果を見ていました。
離婚できた。
話し合いも終わった。
だから安心した。
でも本人は、その結果にたどり着くまでの時間を生きていました。
悩んだ時間。
耐えた時間。
期待しては諦めた時間。
何とかしようとし続けた時間。
その時間は、失敗の時間ではありませんでした。
でも、「良かったね」という言葉を受け取るたびに、その時間が失敗として塗り替えられていきました。
そして、その評価を下しているのは、自分ではありませんでした。
他人の言葉が、自分の過去に名前をつけていきました。
だから、安心できなかったのです。
住まいのこと。
財産分与のこと。
これからの連絡のこと。
一つずつ、形にしていきました。
後になって、その方が言いました。
「離婚したことが失敗だったわけじゃありません」
少し間を置いてから、こう続けました。
「苦しかった時間も、失敗じゃなかったんです」
「ただ、そのことと、他人の安心は、別の場所にあるままでした」
「これで良かったね」は、安心の言葉です。
でも、その言葉は同時に、過去に評価をつけます。
周りにそのつもりはおそらくありません。
ただ、その言葉を受け取るたびに、苦しかった時間が「失敗」として定義されていきます。
気づけば、他人の評価を自分の中で繰り返していました。
だから、頷けなかった。
苦しかったことは、失敗ではありません。
耐えてきた時間は、本物の時間です。
それを他人の言葉で名付けさせない。
ただそこにあったものとして、残す。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
