部屋に一人でいるのに、誰かがいる気がしたそうです。
「変なんです」その方は言いました。
「一人になったはずなのに、まだあの人のことを考えているんです」
離婚の手続きは終わっていました。
住む場所も決まりました。
荷物も片付きました。
ずっと望んでいたはずでした。
誰にも気を遣わない。
ため息を聞かなくていい。
顔色をうかがわなくていい。
もっと楽になると思っていました。
でも、夜になると眠れませんでした。
スマホを触る。
置く。
また触る。
静かな部屋が落ち着きませんでした。
何年も前から、離れたいと思っていました。
話が通じない。
期待してしまう。
また傷つく。
その繰り返しでした。
どうすれば伝わるのか。
どうすれば分かってもらえるのか。
どうすれば変わるのか。
もう諦めようと思っても、また考えていました。
気づけば毎日、そのことを考えていました。
だから、一人になりたかったのです。
でも、一人になってから気づいたそうです。
毎日考えていたことがなくなっていました。
毎日向き合ってきた問題がなくなっていました。
急に静かになりました。
でも、それが落ち着かなかったのです。
「ずっと苦しかったんです」その方は言いました。
「でも、その苦しさと一緒に生きていたんですね」
少し間を置いてから、続けました。
「毎日あの人のことを考えていました」
「毎日どうすればいいか考えていました」
「それが急になくなったんです」
その言葉が残りました。
苦しさがなくなれば、楽になると思っていました。
でも、そうではありませんでした。
苦しさの中には、自分が生きてきた時間もありました。
伝わらなくても伝えようとしていた時間。
諦めきれずに考え続けていた時間。
傷つきながらも向き合っていた時間。
苦しかったのは、その時間まで失う気がしたからでした。
後になって、その方が言いました。
「相手を手放せなかったんじゃなかったんです」
少し考えてから、続けました。
「苦しさの中で生きていた自分を、手放せなかったんです」
「でも、消えるわけじゃなかったんですね」
「そこまで生きてきた自分として置くだけだったんですね」
離れたいと思うことと、過去を否定することは違います。
苦しかった時間は消えません。
その中で生きてきた自分も消えません。
ただ、今の自分とは別に置くことができます。
線を引くというのは、消すことではありません。
置く場所を決めることです。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
