理由を探すことが、習慣になっていたそうです。
寝る前に考える。
昔のメッセージを読み返す。
あのときの会話を思い出す。
「何かあるはずだと思っていたんです。」
「もう気持ちがない。」
相手はそれだけ言いました。
それ以上の説明はありませんでした。
何年も一緒にいたのに。
家族だったのに。
それだけなのか。
納得できませんでした。
理由になっていない気がしました。
だから、探しました。
何が悪かったのか。
どこで間違えたのか。
あの日の言葉かもしれない。
あの時の態度かもしれない。
相手にも何度か聞きました。
でも、答えは変わりませんでした。
「もう気持ちがない。」
それだけでした。
離婚の話は進んでいました。
書類の準備も始まっていました。
でも、その方の中では終わっていませんでした。
「説明できない終わりは、本物の終わりじゃない気がしていたんです。」
その言葉が残りました。
その方の中に、基準がありました。
理由が分かれば、終わりが説明できる。
説明できれば、本物の終わりになる。
本物の終わりになれば、次へ進める。
だから、理由を見つけるまでは終われないと思っていました。
でも、ある日気づいたそうです。
相手はもう、答えを探していませんでした。
相手の時間は動いていました。
理由を探しているのは、自分だけになっていました。
「理由が分かれば終われると思っていました。」
その方は言いました。
「でも、本当に苦しかったのは、理由が分からないことじゃなかったんです。」
少し間を置いてから、続けました。
「理由が分からないまま終わることを、自分が許せなかったんです。」
「説明できない終わりは、本物じゃないと思っていたんです。」
そして、こう続けました。
「でも、ずっと探し続けている間、私だけがあの関係の中にいたんです。」
「理由を探していたのは、私だけだったんですね。」
探すことが、つながり続ける方法になっていました。
まだ理由が分かっていない。
だから、まだ終わっていない。
そう思うことで、終わりを先に延ばしていたのです。
住まいのこと。
財産分与のこと。
これからのこと。
一つずつ、形にしていきました。
後になって、その方が言いました。
「理由が分かったから終われたわけじゃありません。」
「理由が分からないままでも、終わりは本物だったんです。」
少し考えてから、こう続けました。
「説明できない終わりを、本物として置く。」
「それに、ずいぶん時間がかかりました。」
理由のある終わりだけが、本物の終わりではありません。
説明できないまま残るものがあります。
名前がつかないまま終わるものがあります。
それでも、終わりは終わりです。
置くことの許可は、理由からもらうものではありませんでした。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
