子どもは、何も言いませんでした。
困った顔をしていました。
それだけでした。
「言った瞬間に、分かったんです。」
その方は言いました。
「聞いてはいけない質問だったと。」
離婚の話が進んでいました。
住む場所。
学校。
休日の過ごし方。
子どものことも、できる限り考えていました。
なるべく負担をかけないように。
傷つけないように。
そう思っていました。
でも、その夜は違いました。
急に不安になったそうです。
この先、本当に一人になるのかもしれない。
子どもも向こうを選ぶかもしれない。
自分だけ、取り残されるかもしれない。
気づいたら、聞いていました。
「パパとママ、どっちについていくの。」
子どもは、答えませんでした。
困った顔のまま、黙っていました。
その方はずっと、子どもが「答えられなかった」と思っていたそうです。
まだ小さいから。
難しすぎたから。
考えがまとまらなかったから。
でも、後になって気づいたと言いました。
「違ったんです。」
「あの子は、答えたくなかったんだと思います。」
「どちらかを選ぶことが、どちらかを傷つけることだと、分かっていたんだと思います。」
少し間を置いてから、続けました。
「私が自分の不安を抱えていたとき、あの子はもう、二人の親を同時に守ろうとしていたんですね。」
子どもは、答えられなかったのではありませんでした。
答えることを、選ばなかったのです。
「どちらについていくか」という質問の裏に、「どちらかを傷つけなければならない」という意味を、子どもは先に読んでいました。
だから、黙っていました。
「子どもの気持ちを聞きたかったんだと思っていました。」
その方は言いました。
「でも、違ったんです。」
「私が選ばれるか、知りたかったんです。」
「捨てられないか、確かめたかったんです。」
本当に怖かったのは、一人になることではありませんでした。
離婚した後も、自分は親でいられるのか。
その問いに、誰も答えてくれていませんでした。
だから、子どもに聞いてしまいました。
「選んでくれれば、まだ親でいられる気がした」
その言葉が、一番長く残りました。
住まいのこと。
これからの連絡のこと。
子どもとの時間のこと。
一つずつ、形にしていきました。
後になって、その方が言いました。
「どっちについていくかを聞く必要はなかったんですね。」
「選ばれることと、親でいることは別だったんですね。」
少し考えてから、こう続けました。
「あの子が黙っていた理由は、今でも分かりません。」
「でも、あの沈黙のことは、ずっと考えています。」
子どもは、親を選びたいわけではありません。
どちらも親でいてほしいだけです。
「選ばれること」と「親でいること」は別でした。
その違いが形になったとき、子どもに向けていた問いが、自分の中に戻ってきます。
離婚した後も、私は親だ。
その答えは、子どもからもらうものではありませんでした。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
