「やっとだね。」
子どもがそう言ったとき、意味が分からなかったそうです。
すると、こう続けました。
「前からそうなると思ってた。」
その方は、何も言えなかったそうです。
隠していたつもりでした。
喧嘩はしませんでした。
怒鳴ることもありませんでした。
食事も一緒にしていました。
行事にも参加していました。
離婚の話は、子どもの前では一度もしていませんでした。
「子どもには分からないと思っていたんです。」
「なるべく見せないようにしていました。」
だから、大丈夫だと思っていました。
「やっとだね」という言葉が、しばらく頭から離れなかったそうです。
やっと、という言葉は、待っていたということです。
何年も前から、待っていた。
喧嘩の声は聞こえていなかった。
怒鳴り声も聞いていなかった。
それでも、知っていた。
「パパとママ、全然話してなかったよ。」
その言葉が残ったそうです。
確かにそうでした。
必要な話はしていました。
学校のこと。
お金のこと。
予定のこと。
でも、それだけでした。
笑うことが減っていました。
お互いの話をしなくなっていました。
同じ家にいても、別々に暮らしているような時間が続いていました。
その静けさが、何年も家の中にありました。
「守れていたと思っていたんです。」
その方は言いました。
少し間を置いてから、こう続けました。
「でも、本当は違ったんです。」
「隠せていたのは、離婚するという情報だけでした。」
「家の中にあった静けさは、最初から伝わっていたんですね。」
そこで見えました。
親が守ろうとしていたのは、子どもだけではありませんでした。
「ちゃんと守れている親だ」という、自分自身の物語でした。
情報は隠せました。
でも、静けさは隠せませんでした。
名前のない重さは、隠せませんでした。
そして子どもは、その名前のないものを何年も先に感じながら、ずっと待っていたのです。
「やっとだね」という言葉が、何を意味しているか。
ようやく名前がついた、ということでした。
子どもにとっても、その日が始まりではありませんでした。
何年も前から、家の中にあったものが、その日に初めて形になったのです。
住まいのこと。
財産分与のこと。
これからの連絡のこと。
一つずつ、形にしていきました。
後になって、その方が言いました。
「子どもは気づいていたんですね。」
「気づいていないと思っていたのは、私だけだったんですね。」
少し間を置いてから、こう続けました。
「曖昧なままにしていた時間の方が、子どもには長かったんですね。」
「形になってから、私の方が少し安心したのかもしれません。」
子どもは、理由より先に空気に気づきます。
言葉より先に、静けさに気づきます。
名前のないものが家の中にある間、子どもはそれを抱えています。
終わるものを終わらせる。
決めるものを決める。
形にする。
それは、大人だけのためではありません。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
