「いつ頃から怒らなくなったんでしょう。」
その方は、少し遠くを見るように言いました。
「自分でも分からないんです。」
離婚の話が出たとき、周りは驚いたそうです。
「仲良くなったと思っていたのに。」
最近は喧嘩もなかった。
穏やかに話していた。
子どものことも一緒に決めていた。
本人も、そう思っていました。
「やっと折り合えるようになったのかな。」と。
でも、違いました。
「最初は怒っていたんです。」
その方は言いました。
「もう少し手伝ってほしい。」
「話を聞いてほしい。」
「一緒に考えてほしい。」
そのたびに、返事はありました。
「分かった。」
「今度やる。」
「考えておく。」
でも、変わりませんでした。
何度も言いました。
何度も待ちました。
何度も信じました。
あるとき、言わなくなりました。
自分でも気づかないうちに、言うのをやめていました。
期待しなくなった。
待たなくなった。
怒らなくなった。
それを「落ち着いた」と思っていました。
でも、折り合ったのではありませんでした。
届かないものを、届かないものとして、静かに棚の上に置いていただけでした。
怒りがなくなったのではありませんでした。
怒る理由ごと、諦めていたのです。
「離婚を決めた日なんて、覚えていないんです。」
その方は、そう言いました。
「気づいたら、もう決まっていたんです。」
少し間を置いてから、続けました。
「諦めた日があったんだと思います。」
「でも、その日が分からないんです。」
「だから、ずっと自分でも説明できなかったんです。」
最後の言葉が残りました。
「説明できないから、終わらせていいのかも分からなかったんです。」
諦めは、静かです。
喧嘩のように外に出ません。
涙のように見えません。
怒っているなら分かります。
悲しいなら分かります。
でも、諦めは違いました。
自分でも気づきませんでした。
だから、「いつから終わっていたのか」が分からないまま、何年も過ぎていました。
説明できないから、終わらせる言葉も出なかったのです。
住まいのこと。
財産分与のこと。
年金分割のこと。
一つずつ、形にしていきました。
後になって、その方が言いました。
「終わりは突然来たんじゃありませんでした。」
「何年も前から始まっていたんですね。」
少し考えてから、こう続けました。
「あの頃から始まっていたと分かったとき、やっと終われた気がしました。」
「諦めに名前がついた気がしたんです。」
離婚を決めた日が、始まりとは限りません。
怒らなくなった日。
期待しなくなった日。
その静けさの中に、名前のないものが残っていることがあります。
名前がついたとき、人は終わりを終わりとして置けます。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
