「もう嫌いなんですよね。」
そう聞くと、その方は少し首を振りました。
「違うんです。」
「嫌いというより、疲れたんです。」
「それが一番近い気がします。」
大きな喧嘩があったわけではありませんでした。
裏切りがあったわけでもありませんでした。
ただ、長い時間が過ぎていました。
仕事。
子どものこと。
親のこと。
家のこと。
気づけば、何かを話すたびにため息が出るようになっていました。
話しても変わらない。
頼んでも伝わらない。
言うこと自体が疲れる。
「昔は怒っていたんです。」
「期待もしていました。」
「でも、今は怒る気力もないんです。」
「ただ、疲れたんです。」
離婚の話をしても、すぐには進みませんでした。
「今は考えたくない。」
「また今度。」
「このままでもいいかな。」
そんな日が続いていました。
でも、その方は後になって言いました。
「本当は、このままでよかったわけじゃなかったんです。」
「考える力も残っていなかったんです。」
「何かを決めること自体が、しんどかったんです。」
少し間を置いてから、続けました。
「怒っている人は、動けるんですよね。」
「私は怒る元気もなくなっていました。」
「だから、何も決められなかったんです。」
最後の一言が残りました。
「疲れているだけなのに、自分では気づいていなかったんです。」
「疲れって、いつからなのか分からないんです。」
「何が苦しいのかも、説明できないんです。」
気づいたときには、何も考えたくなくなっていました。
住まいのこと。
財産分与のこと。
年金分割のこと。
一度に決めようとはしませんでした。
一つずつ。
小さく分けて。
少しずつ形にしていきました。
後になって、その方が言いました。
「仲直りしたわけではありません。」
「許したわけでもありません。」
「でも、やっと休める気がしたんです。」
少し考えてから、こう続けました。
「ずっと疲れていたんです。」
「でも、疲れているとも言えなかったんです。」
「それが一番苦しかったんだと思います。」
憎しみが人を動かすことがあります。
でも、疲れは人を止めます。
だから、一度に決めなくてもいい。
小さく分けて、少しずつ形にしていく。
疲れに名前がついたとき、人は初めて荷物を降ろせます。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
