「一言でいいんです。」
その方は、そう言いました。
「悪かったと言ってくれれば、それでよかったんです。」
離婚の話はとっくに終わっていました。
別々に暮らしていました。
書類も出ていました。
それでも、時間が動きませんでした。
何年も前の出来事を思い出す。
言われた言葉を思い出す。
夜になると考える。
「どうして、あんなことをしたんだろう。」
「どうして、何も言わないんだろう。」
周りからは言われていました。
「もう終わったんだから。」
「忘れた方がいい。」
でも、忘れられませんでした。
忘れたくなかったのかもしれません。
「謝ってほしかったんです。」
「お金のことじゃないんです。」
「やり直したかったわけでもありません。」
「ただ、悪かったと言ってほしかったんです。」
少し間を置いてから、続けました。
「謝ってもらえれば、あのことが本当だったと分かる気がしていたんです。」
「謝ってもらえなければ、私が苦しんでいたことも、なかったことになる気がして。」
その言葉で、見えました。
謝罪を待っていたのは、けじめのためではありませんでした。
苦しかったことが本当だったと、相手に認めてもらうためでした。
誰も証人がいませんでした。
相手は何事もなかったように暮らしていました。
自分だけが、まだそこにいました。
謝罪は、証明書だったのです。
でも、相手は何も言いませんでした。
連絡をしても、その話には触れませんでした。
時間だけが過ぎていきました。
「謝ってもらえたら終われると思っていました。」
「でも、待っている間、私だけがあの日のままだったんです。」
「相手はもう、先へ行っていました。」
ある時、その方が言いました。
「苦しかったことは、本当のことです。」
「相手が認めなくても、本当のことです。」
「それに気づいたとき、待つのをやめられた気がします。」
謝罪がなくても、苦しかったことは消えません。
相手が認めなくても、あの日のことは本当のことです。
証明は、相手からもらうものではありませんでした。
ただ、終わりを相手に預けたままにしない。
苦しかったことを、書として残す。
それが、書の仕事です。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
