「嫌いになれたら楽だったんです。」
その一言で、何を抱えてきたのかが見えました。
嫌いなら、理由になります。
暴力があれば、理由になります。
裏切りがあれば、理由になります。
でも、何もありませんでした。
一緒に暮らしていました。
必要な話もする。
食事もする。
子どものことも話す。
ただ、何かを期待することがなくなっていました。
笑うことが減りました。
将来の話をしなくなりました。
何かが壊れたわけではありませんでした。
何年もかけて、少しずつそうなっていきました。
「嫌いじゃないんです。」
「感謝していることもあります。」
「でも、夫婦としては終わっている気がするんです。」
離婚の話をしようとするたびに、言葉が出なかったそうです。
嫌いではないのに、なぜ終わりにするのか。
自分でも、うまく説明できませんでした。
「嫌いになれれば、相手のせいにできたんです。」
「でも、そうじゃないから、自分を責めてしまうんです。」
嫌いになれないことが、人を迷わせることがあります。
住まいのこと。
財産分与のこと。
年金分割のこと。
長い時間をかけて、一つずつ形にしました。
後になって、その方が言いました。
「嫌いになれなかったから、ずっと決められないと思っていました。」
「でも、嫌いになる必要はなかったんですね。」
「終わったものを終わったものとして認めることだったんですね。」
嫌いにならなければ、終われないわけではありません。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
