周りから見れば、仲のいい夫婦に見えていたそうです。
病院へ一緒に行く。
施設の面会にも一緒に行く。
親のことで相談し合う。
だから、誰も気づきませんでした。
でも、二人が話していたのは、いつも「親のこと」だけでした。
病院の予約。
ケアマネへの連絡。
施設のお金のこと。
兄弟への報告。
旅行の話はしない。
将来の話もしない。
お互いの話もしない。
介護が始まってから、何年もそうでした。
そして、親を見送りました。
葬儀が終わる。
手続きが終わる。
四十九日が終わる。
ようやく静かになった頃、その方が言いました。
「気づいたんです。」
「私たち、何年も前から夫婦じゃなかったんですね。」
「介護だけでつながっていたんです。」
介護が夫婦を壊したわけではありませんでした。
介護という共通の役割が、二人の間にあったものを、ずっと覆っていたのです。
役割が終わったとき、初めてそれが見えました。
怒りではありませんでした。
憎しみでもありませんでした。
ただ、何年も前から、お互いへの関心がなくなっていました。
そして、そのことに気づく時間もありませんでした。
住まいのこと。
財産分与のこと。
年金分割のこと。
これからの連絡のこと。
長い時間を一緒に過ごしたからこそ、決めることは多くありました。
すぐには決まりませんでした。
それでも、一つずつ形になっていきました。
後になって、その方が言いました。
「終わったのは、介護じゃなかったんですね。」
「共通の役割がなくなったとき、もうそこにいる理由もなくなっていたんです。」
役割が人をつなぐことがあります。
役割が終わったとき、残るものが見えることがあります。
そのとき初めて、何を決めるのかが分かります。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じます。
