嫌いじゃないから、言えなかった話

何度か、話そうとしたそうです。

でも、そのたびに別の話をしていました。

夕食のこと。
子どものこと。
明日の予定。

「話を変えていたんじゃないんです。」
「最初の一言が、どうしても出なかったんです。」

 

嫌いではありませんでした。
感謝していることもありました。
悪い人だとは思っていませんでした。

だから、言えませんでした。

「嫌いだったら言えたと思うんです。」

ある日、その方が言いました。

「終わりにしたいと言うことが、この人を否定することになる気がして。」 「一緒にいた時間を、間違いだったと言うことになる気がして。」

そこで、何年も止まっていました。

 

子どもが生まれた日のことを覚えている。
苦しかったときに、そばにいてくれたことも覚えている。

それは本当のことでした。

でも、今は続けられない。

それも本当のことでした。

二つの本当のことが、頭の中で矛盾し続けていました。

「楽しかったなら、なぜ終わらせるのか。」

その問いに答えられないまま、言葉が止まっていました。

 

「嫌いになれれば、よかったんです。」

その方は、少し考えてから言いました。

「嫌いになれば、この人のことを悪く思える。」
「そうすれば、終わらせても仕方ないと言える。」
「でも、嫌いになれなかった。」
「だから、ずっと言えなかったんです。」

 

その言葉で、見えました。

終わりを言い出せなかったのは、相手が嫌いではないからだけではありませんでした。

嫌いになることで、一緒にいた時間を否定しようとしていたのです。

否定できれば、終わらせることが正当化できると思っていました。

でも、それができなかった。

楽しかった記憶があった。
感謝していることがあった。

だから、終わらせる言葉が出なかったのです。

 

住まいのこと。
財産分与のこと。
年金分割のこと。
一つずつ、形にしていきました。

後になって、その方が言いました。

「嫌いにならなくてよかったんですね。」
「一緒にいた時間を、否定しなくてよかったんですね。」

少し間を置いてから、こう続けました。

「終わりにすることと、あの時間を消すことは、別のことだったんですね。」

 

嫌いではないから、言えないことがあります。

でも、終わりは否定ではありません。

楽しかった時間はそのままで、関係だけを形にする。

それが書の仕事です。

名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。

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