相手を許せなくても、決めることはできた話

「許せないんです。」

その方は、はっきり言いました。
迷いのない声でした。

「このまま一生、許せないと思います。」

 

周りからは言われていたそうです。

「もう忘れなさい。」
「許した方が楽になるよ。」
「子どものためにも。」

でも、その言葉を聞くたびに、別の苦しさが加わっていきました。

許せない自分が、間違っているように感じてきたのです。

 

「許せない」という言葉を、長い間、自分の中で抱えていました。

怒りは消えませんでした。
思い出すと体が固くなりました。
夜中に目が覚めることもありました。

でも、あるとき気づいたそうです。

その怒りが、唯一残っているものだということに。

相手はもう日常を生きていました。
こちらだけが、まだそこにいました。

「許せない気持ちだけが、私に残っていたんです。」
「それを手放したら、何もなくなる気がしていました。」

 

だから、話し合いに入れませんでした。

養育費。 財産分与。 親子交流。

話を始めるたびに、怒りが戻ってきました。

「許せないのに、話なんかできません。」
「許せないまま決めるなんて、相手を認めることになる気がしていました。」
「苦しかったことが、なかったことになる気がしていました。」

最後の言葉で、見えました。

許すことは、傷を消すことだと思っていたのです。

だから、許せないまま決めることが、自分の苦しさを裏切ることに感じていました。

 

でも、現実は違いました。

怒りは消えませんでした。
それでも、決めることは決めていきました。

養育費。財産分与。今後の連絡。
一つずつ、形にしました。

 

後になって、その方が言いました。

「許せたわけではありません。」
「今でも、許していません。」
「でも、決めることはできたんですね。」
「許すことと、終わらせることは、別のことだったんですね。」

少し間を置いてから、続けました。

「苦しかったことは、本当のことです。」
「それは、書類になっても消えません。」
「でも、消えなくていいんですね。」

 

許すことと、終わらせることは同じではありません。

怒りは残ったままでいい。
傷も残ったままでいい。

それでも、時間を動かすことはできます。

書は、感情を消すものではありません。
感情と自分が混ざったままの状態を、分けるものです。

そのために、書があります。

名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。

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