やり直したかったのではなく、納得したかった話

「何度も連絡してしまったんです。」

その方は、少し恥ずかしそうに言いました。

「自分でも、みっともないと思っていました。」
「でも、やめられなかったんです。」

 

離婚の話が出てからも、何ヶ月も経っていました。

連絡をする。
返事を待つ。
また連絡をする。
会う約束をする。
また話が流れる。

「どうしてなんですか。」
「何がいけなかったんですか。」

同じことを、何度も繰り返していました。

周りからは言われていたそうです。

「もう終わりにした方がいい。」
「連絡するのをやめなさい。」

でも、やめられませんでした。

 

「やり直したかったんだと思っていました。」

ある日、その方が続けました。

「でも、違ったんです。」
「理由が知りたかっただけなんです。」
「なぜこうなったのか、納得できれば前へ進めると思っていたんです。」

相手は答えてくれませんでした。
答えられなかったのかもしれません。
答える気がなかったのかもしれません。

どちらにしても、答えは来ませんでした。

「答えさえ出れば終われる。」

その言葉が、何ヶ月も続く連絡の理由になっていました。

 

でも、そこで見えてきたことがありました。

答えを待っている間、終わりを相手に預けていました。

相手が答えてくれれば終われる。
相手が説明してくれれば前へ進める。

自分の時間の行き先を、答えをくれない相手が握っていました。

「答えを待っている間、私の時間だけが止まっていました。」

その一言で、はっきりしました。

 

住まいのこと。
財産分与のこと。
年金分割のこと。
一つずつ、形にしました。

後になって、その方が言いました。

「理由は最後まで分かりませんでした。」
「でも、それでも終われるんですね。」
「答えを待つのをやめた日が、本当の意味で終わった日でした。」

 

納得と、説明は同じではありません。

答えが来なくても、自分の時間を動かすことはできます。

相手に預けていた終わりを、自分に返す。

そのために、書があります。

 

名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。

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