「結局、誰が悪かったんでしょうね。」
その方は、そう言いました。
少し間を置いてから、こう続けました。
「誰か一人が悪かったら、もっと楽だったかもしれません。」
暴力はありませんでした。
浮気もありませんでした。
お金の問題もありませんでした。
二人とも、頑張っていました。
仕事が忙しくなる。
子どものことで手一杯になる。
親の介護が始まる。
疲れて眠る。
また朝になる。
お互いに、精一杯でした。
だから、責められませんでした。
「責める相手がいないから、自分が悪いのかと思っていました。」
その言葉が、一番長く残りました。
誰も悪くない。
でも、終わりにしたい。
その二つが、頭の中で矛盾し続けていました。
離婚を切り出そうとするたびに、言葉が止まりました。
嫌いになったわけではない。
裏切られたわけでもない。
むしろ、相手のことを悪く言えない。
「誰かが悪ければ、怒れます。」
「でも、誰も悪くないから、終わりにしてはいけない気がしていました。」
「私が終わりにしたら、私が悪者になる気がしていました。」
最後の一言で、見えました。
誰も悪者でないなら、誰かが悪者にならなければ終われない。
そう思っていたのです。
終わりには、有罪判決が必要だと思っていました。
住まいのこと。
財産分与のこと。
年金分割のこと。
一つずつ、形にしました。
後になって、その方が言いました。
「誰も悪者ではなかったんですね。」
「ただ、二人とも精一杯だったんですね。」
「終わりにすることは、誰かを裁くことじゃなかったんですね。」
終わりに、有罪判決はいりません。
誰も悪者にならなくても、それぞれの時間へ戻ることができます。
その終わりを形にすることが、書の仕事です。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じる。
