夫婦仲が悪いわけではない。
少なくとも、周囲はそう思っていました。
子どもの前では普通に話す。
運動会にも行く。
家族旅行にも行く。
大きな喧嘩もありません。
だから、誰も気づきませんでした。
でも、夫婦の会話は何年も前に終わっていました。
必要なことしか話さない。
お互いに期待しない。
怒りもない。
二人とも、諦めていました。
「子どもが成人するまでは。」 そう思って過ごしてきたそうです。
そして、子どもが社会人になりました。
ようやく離婚の話ができる。
そう思っていました。
ところが、話が進みません。
相手が反対しているわけではありません。
財産分与の話もできます。
年金分割も理解しています。
それでも、決められません。
ある日、その方が言いました。
「夫婦としては、とっくに終わっていたんです。」
「でも、家族としては続いていたんです。」
「だから、何を終わらせるのか、自分でも分からないんです。」
離婚の話が進まなかったのは、条件が決まらないからではありませんでした。
終わっていたもの。
続いていたもの。
それが混ざったままだったのです。
財産分与。
年金分割。
今後の連絡。
決めることを整理しました。
残すものを残しました。
離婚協議書を作りました。
公正証書にもしました。
夫婦としての時間には、終わりが来ることがあります。
親としての時間は、続いていきます。
混ざっていたものを、それぞれの場所へ置く。
そのために、書があります。
名もなきものは漂います。
名を持つことで鎮まります。
書が、それを綴じます。
