美和子さんのお話

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美和子さんは、58歳。長崎市内に住んでいます。お母様は84歳。以前は、近くで一人暮らしをしていました。

姉は、東京に住んでいます。大学を出て、東京で結婚し、東京で家庭を持ちました。子どもの頃、お母様は、姉のことをよく話しました。

「由紀は、頭がいいからね」
「由紀は、しっかりしているから」

姉が東京の大学に行くと決まった時、お母様は嬉しそうでした。ただ、その夜、台所でぽつりと言いました。

「由紀が、東京に行ってしまうのね」

美和子さんは、その声を覚えていました。美和子さんは、地元の高校を出て、地元で就職し、地元の人と結婚しました。ずっと、母の近くにいました。それでも、お母様の中には、いつも東京の姉のことがありました。

通帳を預かるようになって、3年

お父様が亡くなったのは、10年前です。

5年前、お母様は自宅で転び、足を骨折しました。入院とリハビリを終えて家に戻りましたが、前のようには歩けなくなりました。

通院、薬の受け取り、買い物。少しずつ、美和子さんが手伝うことが増えていきました。その後、お母様は施設に入ることになりました。

施設代は、年金だけでは足りませんでした。預金を取り崩して払っていましたが、不足分を美和子さんが出す月もありました。

お母様の判断は、まだはっきりしていました。自分の気持ちも言えました。ただ、施設の請求書を確認したり、銀行の手続きをしたりすることは、一人では負担になっていました。その頃から、美和子さんが、お母様の通帳を預かるようになりました。

東京の姉に電話しました。

「お姉ちゃん、お母さんね、施設に入ることになったの。年金だけでは足りない月は、私が出すこともあると思う」

姉は、こう答えました。

「美和子、悪いね。私、なかなか帰れないから」

電話は、5分で終わりました。美和子さんは、その電話を切った後、しばらく台所に立っていました。

姉は東京にいる。近くにいるのは、自分だけ。「私が近くにいるから」。そう自分に言い聞かせて、美和子さんは、施設の請求書を確認し、通帳の残高を見て、支払いを続けました。

親のお金から払った分。美和子さんが出した分。施設から届いた請求書。美和子さんは、ノートにすべて記録しました。姉には、細かくは伝えていませんでした。

母の口癖

姉は、月1回、お母様に電話をしてきました。電話の時、お母様は、それは嬉しそうな声で話しました。電話を切った後も、しばらく姉の話を続けました。

「由紀、頑張っているんだね」
「東京は、大変だろうね」

美和子さんは、施設の面会室で、その話を聞いていました。毎週、施設に通っているのは、美和子さんです。施設代を確認しているのも、美和子さんです。不足分を出しているのも、美和子さんです。

それでも、お母様が嬉しそうに話すのは、いつも東京の姉のことでした。美和子さんは、お母様を責める気持ちはありませんでした。ただ、自分の中に、言葉にしにくい重さがありました。

「お姉ちゃんが近くにいたら、お母さんは、こんなに私に頼まなかっただろうな」

そう思うこともありました。それでも、自分がやるしかありませんでした。近くにいるのは、自分だけだったからです。

夜、台所で

ある夜、美和子さんは、自分の家の台所で水を飲んでいました。夫は、お風呂に入っていました。冷蔵庫の上には、施設代の請求書と、支払いを記録したノートがありました。

美和子さんは、58歳になっていました。若い頃のように、無理をすれば何とかなる年齢ではありません。仕事をして、施設に通って、請求書を確認して、足りない分を出す。その生活を続けているうちに、自分の時間だけが、少しずつ減っていくように感じていました。

親のことを投げ出したいわけではありません。ただ、このまま60代に入っていくのかと思うと、胸の奥が重くなりました。

美和子さんは、ふと考えました。

「このまま、お母さんのお金は、いつまでもつんだろう」

もう一つ、不安がありました。

「もし、お母さんが亡くなった時、お姉ちゃんに、どう説明しよう」

施設代。年金。預金の取り崩し。美和子さんが出した不足分。自分では、ちゃんと記録しているつもりでした。でも、姉が見て、分かってくれるだろうか。

姉は、お母様の長女です。お母様が、心の中でずっと気にかけていた人です。その姉が、お母様のお金のことを聞いてきた時、私は、ちゃんと説明できるだろうか。

その夜、美和子さんは、検索窓に文字を打ち込みました。

「親 施設代 足りない 兄弟 説明」

母と整えた書面

電話30分の無料相談を経て、美和子さんは、老後資金シミュレーション相談を申し込みました。木下行政書士が、お母様と面談しました。美和子さんは、施設代の請求書、通帳、支払いを記録したノートを見せました。

木下行政書士は、こう言いました。

「ちゃんと、記録してこられたんですね」

美和子さんは、その一言で、急に涙が出ました。3年間、誰にも言えなかった努力を、初めて見てもらった気がしました。

姉は、東京から来ませんでした。電話で、「美和子に任せるから」とだけ言いました。

木下行政書士は、お母様に説明しました。

「お母様の意思で、ご家族のために残す書面です。お母様が、ご自身でお決めになることです」

お母様は、しばらく考えました。そして、美和子さんを見ました。

「美和子はね、私が一番大変な時に、ずっと近くにいてくれて」
「由紀は、東京で自分の家庭があるから、しょうがないのよ」
「美和子がいてくれて、本当に助かっているのよ」

美和子さんは、その日、何も言えませんでした。お母様の中で、姉の存在が大きいことは知っていました。それでも、お母様の口から、自分のことをまっすぐに言ってもらった瞬間、長年抱えていた重さが、少しだけ軽くなりました。

美和子さんは、親のお金を整理することが、自分のためでもあるとは思っていませんでした。でも、木下行政書士と話しているうちに、少しずつ分かってきました。お母様のお金の流れを見える形にすることは、美和子さんがこの先も一人で抱え続けないための準備でもありました。

1か月かけて、書面が形になりました。財産管理等委任契約。任意後見契約。遺言書。お母様の意思は、公正証書として残りました。

母の他界、そして葬儀の夜

それから、2年が経ちました。お母様が亡くなりました。姉は、東京から葬儀のために帰ってきました。3年ぶりの長崎でした。

葬儀が終わった後の夜。実家の居間で、姉は美和子さんに聞きました。

「美和子、お母さんの財産、どうなっているの」

美和子さんは、ずっとこの場面を想像してきました。立ち上がって、和室の引き出しから、書類の入った封筒を持ってきました。

「お姉ちゃん、これ、お母さんが生きていた時に作った書面。それと、3年間の支払いの記録」

姉は、書類をゆっくり見ていきました。財産管理等委任契約。任意後見契約。お母様の遺言書。3年間、施設代をどう払ってきたかを記録したノート。年金。預金の取り崩し。美和子さんが出した不足分。

遺言書には、お母様の言葉で、こう書かれていました。

「長年、私の生活とお金のことを支えてくれた次女・美和子に、感謝しています」

姉は、しばらく何も言いませんでした。最後に、こう言いました。

「お母さんが自分で決めたなら、分かった」

姉は、書類を静かに封筒に戻しました。美和子さんも、居間でその書類をもう一度見ました。

美和子さんの今

それから、1年が経ちました。姉とは、たまに電話で話します。お母様の法事の話。実家の片付けの話。普通の、姉妹の会話です。

美和子さんと姉の関係が、急に良くなったわけではありません。お母様の中で、姉という存在が大きかったことも、変わりません。

ただ、お母様のお金の流れと、お母様の意思は、書面と記録として残りました。少なくとも、美和子さんは、感情だけで説明しなくて済みました。

美和子さんは、たまに、台所で水を飲んでいた、あの夜のことを思い出します。

「もし、お母さんが亡くなった時、お姉ちゃんに、どう説明しよう」

3年前、美和子さんを不安にさせた、その問い。それに答える形を残せていたことが、美和子さんを救いました。

美和子さんは、週に一度、近くの店で小さな花を買うようになりました。特別なことではありません。

それでも、買ってきた花を台所に飾る時間は、美和子さんにとって、自分の暮らしに戻る時間でした。

親のことを大切にすることと、自分の時間を持つこと。その二つを、どちらか一つにしなくてもよいのだと、少しずつ思えるようになりました。

近くにいるのは、自分だけ。だから、自分がやるしかなかった。その時間に、一つ区切りがつきました。

美和子さんは、それで十分でした。

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